nogaさんの日記

(Web全体に公開)

2017年
11月30日
12:13

教育関係者の猛省



>学校は同じ能力・同じ事が出来る平均的な人間を作ることをその制度の目的としていますが、これ自体が政府の人間の思い上がりだと私は感じます。

学校は、没個性の取り扱いになっていますね。えこひいきに対する生徒の監視は厳しいですからね。

>教育を施す側の人間たちの思い通りにならない児童生徒を劣等性呼ばわりし、授業などについて来るのがさも当然のような風潮が蔓延しているのです。

そうですね。上位下達の訓練ですね。

>しかし、児童生徒は教師や学校の「物」ではありません。1つの個人であり、自然界の中の一員なのです。>同じものなど存在しないのが本当の自然である 

そうですね。同感いたします。

(略)
>しかし、こと教育にしてみればどうでしょう。>学校という空間の中で教師の授業ペースについていくことが出来ない子供は「駄目な子」扱いされます。>文部科学省が定めた学習指導要領の内容を理解できない子供は出来損ない扱いされ、学校という空間から疎外感を感じる事になるわけです。

学校は人間尊重の精神に欠けていますね。

>無意味な競争をさせて「勉強できる子供」・「従順な子供」を選別し、勝者と敗者という差別意識を根付かせるなどということが当たり前になっているのが学校です。

‘上とみるか、下とみるか’ の判断は、日本人のメンタリティになっていますからね。物の上下の品定めは、勝負で決めるのが公平であると考えられています。無意味な競争などは、あまり気にならないところでしょう。いうなれば、序列○○です。
日本語には階称 ‘言葉遣い’ というものがあって、上下判断は日本人の強迫観念の域に達しています。それは、’人を見損なってはいけない’ からです。日本人の礼儀作法は序列作法になっていて、自分の序列判断が社会に受け入れられなければ、礼儀正しい日本人にはなれません。外人・非国民と考えられます。これは、ぜひとも避けたい状態です。

>人間だって自然界を構成する1つの存在であり、同じ人間は誰一人として存在しません。 >名前はごく稀に同姓同名があるかもしれませんが、顔も肌の色も、身長も体重も体力も違います。>そして個人の性格だって勿論違います。>理解力や記憶力・目的や価値観なども違うということは小学生でも分かるはずです。

そうですね。我が国における個人主義の理解と尊重が必要ですね。

>それを学校という場所では全く同じときに同じ事ができるのが当たり前という圧力をかけ、子供を同じ機械の部品のように作り変えようとしているのです。

規格製品の大量生産を得意とする国ですからね。自然の自由は無いですね。手つかずの自然を楽しむ趣味も無いようです。

>これは教師や学校などのいわゆる「管理する側」の人間たちの都合でしかないのではないでしょうか。

価値観の違いによるものでしょうね。

>児童生徒1人1人をかけがえのない個人として尊重し大切に育てるという発想ならば、学校という場所で監理・競争・服従を強制しているはずがありません。

個人主義の徹底は、我が国においてはまだまだですね。日本語は、個人の発想を抑制する傾向にありますね。

>全ては「政府の学校」の関係者たちの思い上がりでしかないのです。

そうですね。教育関係者の猛省を促したいですね。 


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