nogaさんの日記

(Web全体に公開)

2018年
02月15日
11:58

正鵠への不安


(略)
>日本人が、米国の意向を忖度する、霞が関官僚組織とマスメディアや経団連等々の既得権益集団が、どれ程「民意」を無視して、政治主導政治を阻止しているか、それを鳩山がウィキリークス(暴露)した点は、非常に重要だ。

日本人は、忖度 (推察) の考察を深くしていませんね。

>判り切っている事のようだが、案外多くの国民は、未だに判っていないのである。

そうですね。忖度は、我々にとって空気のような存在ですからね。

>米国の意向に何らかの形で反論、乃至は逆鱗に触れた政治家は、彼の祖父である鳩山一郎も石橋湛山も重光葵も田中角栄も本人も小沢一郎も、その多くが、米国の手により政治的打撃を蒙ったか、官僚マスメディアらによって総攻撃を受けたのである。>この事を書き始めたらきりがないのでやめておく。

そうですね。受け身ばかりでは、立つ瀬がありませんね。例を上げたらきりがない。

>しかし、このような米国支配から、幾多に亘り多くの政治家が迫害を受けたにも関わらず、それを唯々諾々と受けとめる日本人と云う存在は、“何なのだろう”と云う大きな疑問が残される。

第二の天性の持ち主ですね。

>単に山本七平の「空気」だけで説明するのも安直過ぎるのだろう。

山本七平の説明は、現象論ですね。その機序 (mechanism) に関する内容を知りたいですね。

>原爆投下の非人道性について米国内で宗教団体を中心に論議盛んだった時、その鎮静化に成功したのがトルーマン大統領とマサチューセッツ工科大学総長のカール・テイラー・コンプトン氏だった。>このコンプトンと云う人物が的確に日本人について述べた言葉を孫崎亨氏は「日本は事実上、軍人をボスとする封建組織の中の奴隷国だった。一般人は、一方のボスの下から他方のボス占領軍へ。彼らにとってこの切りかえは、生計が保たれていければ、別に大したことではないのである」と語っている。

そうですね。日本人は、相変わらず無哲学・能天気ですからね。

>このコンプトン氏の、日本人を小馬鹿にしたような言動に腹立たしさを感じつつ、一抹の不安も憶えないものでもない。

日本人の上下判断が、彼らの言動を許しませんね。

>鎌倉幕府時代からの、日本における庶民の生活を思うにつけ、もしかすると正鵠を得ているのかもしれない、と云う不安である。

彼らは常に分析的ですからね。

>徳川幕府の圧政の中でも、農民職人商人は強かに生きていた。>支配者が信長でも、秀吉でも、家康でも、庶民は平気だった(笑)。>この歴史的経緯の中に、日本人の生命力のルーツがあるのかもしれない。

意思のあるところに方法 (仕方) がある。Where there’s a will, there’s a way.
日本人には意思が無い。だから、方法がない。仕方がないから諦める。それで、強かに生きるしかない。

>コンプトン氏に言われると腹立たしいが、日本民族には、隷属に堪え得る免疫力が備わっている可能性を感じる。

日本人には意思が無い。意思は未来時制の文章内容であるが、日本語文法には時制というものが無い。ですから、日本人には意思が無い。優柔不断・意志薄弱に見える。自発性のないこの民族性が、隷属に耐えうる免疫力になるのでしょう。

>この事は、どんな時代でも生きていける逞しい生命・生活力はある事を示しているが、哲学・思想・理念と云った類には、カラッキシ興味がない民族だと云う方向性も示している。

そうですね。時制のない日本語では、過去・現在・未来の三世界の内容を脳裏に各々独立に展開することはできません。ですから、考え (非現実) の内容というものは無く、現実ばかりの話になります。
現実の内容は、頭の外に存在する。それは、見る事が出来る。非現実の内容は、頭の中に存在する。それは、見ることが出来ないただの話である。両者は所在が異なるので、内容も同じにはならない。
考える人は、自分の哲学を持つ人になる。考えない人は、如才ない (機転が利く) 人になる。つまり、忖度をする人になる。それで、我が国は忖度の国になる。

>しかし、筆者などは、その逞しさが政治を劣化させると考えるわけで、此処で納得してしまう訳にはいかない。(若干、無理をしている(笑))

そうですね。忖度 (現実) と哲学 (非現実) では、次元が違いますからね。確かに日本人の忖度の逞しさが、政治哲学を劣化させていますね。

>“誰が支配者だって生きていければ良いじゃないか”と云う日本人から脱皮しても良い時代が来ているような気がする。

そうですね。‘衣食足りて礼節を知る’ 時代に来ていますね。

>世界中の国が、自分の足で立ち、自分の意志で生きて行こうとしているのに、“平穏な隷属なら、支配者が誰でも構わない”はもうやめても良いような気がしている。

同感です。各人に哲学が必要ですね。Everyone needs philosophy. 自己の哲学に従って個々の判断を下すべきですね。そのためには、非現実の内容を脳裏に持つ必要があります。
時制のある英語を習得すれば、その目的は達せられることでしょう。英米流の高等教育は、大人になるための英語の再教育です。これにより、彼らは教養のある人になる事が出来ます。
一方、日本の大学では哲学 (非現実の内容) に関する考察がりません。現実ばかりで、日の下に新しきものなし。空気を読み、歌を詠む毎日で、考えは一向に深まらない。大学内ではもう学ぶものがなく、退屈男・退屈女で校内が溢れかえっています。ですから、大学教育の価値自体にも疑問が差し挟まれる状態になっています。高等教育は、我々が英米人から学ぶべき事柄です。さすれば、我々に未来への道が開けます。


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