nogaさんの日記

(Web全体に公開)

2018年
08月07日
10:19

官僚の支配



>試験脳・暗記脳の官僚が支配する日本。>その弊害が目立つのは、試験エリートが第一線に立った太平洋戦争のあたりからか。>自分の利益と面子第一、そこから出てくる言い訳と隠蔽・身内をかばうのオンパレード。

官僚が、処世術を大いに活用しているのですね。何しろわが国は、見栄と外聞の世界ですからね。これを全うすれば、自己利益はついてくる。建て前 (言い訳・言い逃れ) は、常に必要ですね。

>・・・何をやっても安泰→同じ失敗が繰り返される。

‘歴史は繰り返す’ のでしょうかね。日本人には、英米流の責任感 (SENSE OF RESPONSIBILITY) がない。
日本人には、意思がない。意思のない人間には、責任もない。ちょうど、死刑執行人のようなものである。人は死んでも、彼らは殺人罪に問われない。彼らには、殺意というものがないからである。だから、意思のない日本人には、責任がない。とかく、この世は無責任となる。
意思 (will) は、未来時制の文章内容である。日本語文法には、時制 (tense) というものがないので、日本語の文章には、意思の内容がない。だから、日本人には意思がない。英文法には時制があって、英米人には意思がある。これは、見落とすことのできない日米の大きな違いである。

>・・・この生態は戦後の官僚も瓜二つで現代も全く変わっていない。

そうですね。戦前も戦後も、日本官僚の日本語には文法的な変化がないですからね。

>試験ではエリートだが、現実社会では無能。

暗記力が主体では、現実社会は乗り切れませんね。世の中は、千変万化しますから。

>その落差が隠蔽体質を作り出している。

そうですね。官僚の乗り切れないと落差を隠ぺいしているのですね。

>最近の福島原発事故、また国の借金1000兆円はどう釈明するのだろうか? >そして今後何が引き起こされるのか? >国が滅びても彼らは言い訳を繰り返すだろう。

日本人の ‘建て前’ は、言い訳です。’本音’ は、恣意 (私意・わがまま・身勝手) です。官僚には、言い訳しかありません。言い訳を繰り返すしかありません。’行くぜ この道 どこまでも’ か。
硬直化した日本人の脳を活性化するのが緊急の課題です。
自由とは、意思の自由のことである。だから、意思がなければ自由にも意味がない。日本人には、意思がない。だから、不自由を常と思えば不足なしである。
日本人が自由を手にするためには、意思を持つことが必要である。だが、日本文には、意思の内容がない。だがしかし、英語には時制があり、意思の内容がある。
だから、我々も英語と日本語の両方を学んで、意思の使い方を覚えるのがよい。さすれば、我々日本人も自由が獲得できる。自由に考えることができる。現実生活においても有能な人間になれます。’建て前と本音’ の世界よ、さらば。

人・人により、考えの内容は違っている。だから、考えの内容を是認すれば、我々は、考える人になれる。個性的な人間になれる。百花斉放の到来か。
現実は、頭の外にある。現実の内容は、見ればわかる。
非現実 (考え) は、頭の中にある。考えの内容は、見ることができない。ただの話である。その文章の内容を知るには、理解が必要である。文章は、言語の世界に存在する。全ての考えは、文章になる。文章にならないものは、考えではない。
だが、日本人は、考えにならないものの詮索が大好きである。これを忖度 (推察) という。忖度の対象は、ばらばらな単語 (片言・小言・独り言) のみならず、蛙の鳴き声、せせらぎの音でも可能である。一億総歌詠みの傾向である。
忖度は、聞き手の勝手な解釈であるから、発声者には意味もなければ、責任もない。議論にもならない。歌詠みは、国際的にも孤立している。それは、非言語 (NONVERBAL) の世界に属しているからである。忖度の存在を国会の議論で是認するならば、我が民族の後進性をも認めたことになろう。忖度・歌詠みは、言語機能の範囲を超えているので政治音痴は治らない。

>官僚病の起源「言い逃れのパターン」 リンク より
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