noga

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nogaさんの日記

(Web全体に公開)

2018年
12月07日
04:15

科学と空気


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(略)
>現代の日本社会には、「本音」、「建前」の他に「空気的事実に基づく」という方法があることが判ったのです。

日本人の空気 (雰囲気) に関する考察が進んだのですね。

>つまり「本音」というのがその人の本当の考えとすると、「建前」は社会の規則や表面上の言動で、建前というのは「本音」があって初めて成立するものです。

本音 (恣意) を実現するために、建前 (口実・言い訳) を使うのですね。

>それに対して「空気的事実」とは「本音がない」ことが前提、つまり自らの意見がなくて、その時その時に応じて周囲の空気を読み、それに応じて事実を創造してそれに基づいて話すことを指しています。

つまり、日本人が付和雷同することですね。

>たとえばリサイクルですと、「分別したもののほとんどは燃やしている」、「焼却をリサイクルに入れているのでリサイクル率が高い」ということをすべて知っているのに、「周囲の空気はまだリサイクルがよいということになっている」ということを読み、「リサイクル率は60%もある」などと言います。
>このとき、科学的事実(焼却を除くとリサイクル率は5%以下)ということを知っていても、空気的事実(リサイクル率は60%)と言うことになりますが、これは建前でもなく、空気的であっても事実ですから本音でもあるのです。

空気 (雰囲気) は日本人にとっての事実であり、本音 (恣意) でもあるのですね。恣意は、私意・我儘・身勝手なことですね。

>その人と面と向かって1時間も話せば、間違っていることが明らかになることでも、短い時間、テレビのスタジオのようの限定された場所では「何を言っても逃げ切れるから、空気で行こう」ということです。

気分・雰囲気に酔うことを得意としている人たちですね。何が何でもその場を逃げ切る達人たちですね。

>つまり私の相手をしていた人は「本音も建て前も無い人」だったのです。バカらしい!!

本音 (恣意) も建て前 (口実・言い訳) もない人たちだったのですね。議論にならない。歌詠みのようなものか。

>被曝限度もそうで、原発の事故直後、みんなが「被曝など大丈夫。法律はない」と言っている時には空気的事実は「法律はない」ということになりますし、1年も経ってどうやら法律は1年1ミリを基準にしていることが判ると、「法律にある」というのが空気的事実になるのです。

心情的なイメージが重んじられているのですね。

>実は、本人は1年20ミリでも1ミリでも0.1ミリ(ドイツ)でもなんでも良く、その時の空気だけで事実を決めているのです。

カレル・ヴァン・ウォルフレン (Karel van Wolferen) は、<日本/権力構造の謎> (The Enigma of Japanese Power) の<”ジャパン・プロブレム”>の中で下記の段落のように述べています。
、、、、、日本の社会でいう “現実” (リアリティ) とは、客観的に観察した結果としての実際の事実というより、心情的なイメージに合わせて構築された、そうあるべき “リアリィティ” だからである。そしていうまでもなく、望ましいと想定されるイメージは、そのときその人の属するグループの利益と一致することが多い。 、、、、、 
西洋では、現実はそうやすやすと管理されたり、意のままに作り変えられたり、相談で決められたりするものとは、考えられていない。つまり、こうあるべきだという任意の考えによって左右されるものとは考えられていない。事実、西洋の哲学または西洋の常識の基礎は、人間にはつきものの自己欺瞞をおさえるには、妄想や幻想を入り込ませないようつねづねよく注意することだと教えている。ギリシャ文明以来、西洋の知の発達の歴史を貫いてつねに強調されてきた戒めが一つあるとすれば、それは、「矛盾を育むなかれ」ということである。この戒めは、論理、数学、科学の根本法則である。(引用終り)

>・・・・・・・・・
>このことに気がつくのが遅かったのは、科学者としての私は「事実」からスタートしますので、他の人も事実に立脚していると思ったのです。>またお医者さん、工場の人、営業、農業など「実業」をしている人も事実が最初です。

実学 (技術) 関係の人は、事実が最初でしょうね。

>でも、考えてみると「東京に住んでいる評論家」は「客観的事実」が事実ではなく「みんながそうだと思っていること=空気」が事実なのです。

事実が露見すると、彼らは ‘だって本当にそう思ったのだから、仕方がないではないか’ と言いますね。
彼らは、現実直視をしていない。忖度・推察をしているのである。鐘の声・蛙の声に耳を傾けるようなもので、自分勝手な解釈に耽っているのである。彼らは、伝統的な歌詠みである。

>だから、「空気に従う」ということは彼らにとって事実を重んじていることになります。

そうですね。山本七平は「『空気』の研究」のなかで、そのことを指摘しています。
「驚いたことに、『文藝春秋』昭和五十年八月号の『戦艦大和』でも、『全般の空気よりして、当時も今日も(大和の)特攻出撃は当然と思う』という発言が出てくる。この文章を読んでみると、大和の出撃を無謀とする人びとにはすべて、それを無謀と断ずるに至る細かいデータ、すなわち明確の根拠がある。だが一方、当然とする方の主張はそういったデータ乃至根拠は全くなく、その正当性の根拠は専ら『空気』なのである。最終的決定を下し、『そうせざるを得なくしている』力をもっているのは一に『空気』であって、それ以外にない。これは非常に興味深い事実である。」と書いている。

>たとえば、「温暖化すると南極の氷が融ける」というのは「科学的事実」とは反しますが、「空気的事実」には合致しているのです。>だから、事実認識が違うことになります。>実に奇妙な時代になったものです。

わが国では、昔から事実は一つではなかったのですね。科学的事実と空気的事実の二本立てか。

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>以上です。
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