noga

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nogaさんの日記

(Web全体に公開)

2019年
02月09日
12:02

思考の自由


>普段私達が何気なく使っているこの”言葉”ですが、これを使えなくなるという事態、あるいは使っていても制限されるという状況を考えたことがありますでしょうか。

多少ありますね。

>■日本語の語彙の豊かさ
>我が国の言語「日本語」は非常に多くの言葉があります。>各国の日常会話で90%を理解するために必要な語彙数は、>フランス語・・・2000語 >英   語・・・3000語 >ドイツ語・・・・5000語 >日本語・・・・・10000語 >と色々なサイトや書籍で確認してみたところ概ねこのくらいの数字のようです。>日本語は本当に多いと感じます。

そうらしいですね。

>自分を表す表現だけでも「私、僕、自分、俺、あたし、わたくし、ワイ、拙者、ワシ、おいどん、うち」などなど、よくよく数えてみると多いと思います。

日本人には、人称 (person) などという考え方が無いのでしょうね。

>俳句や短歌、詩、万葉集のような和歌集や枕草子のような随筆などとにかく言葉に対して特別な意識(言霊)を持っている非常に珍しい国でもあるのです。

日本人は、バラバラな単語 (小言・片言・独り言) を羅列して用を足しているのでしょうね。

>■語彙が豊富ということは思考の自由があるということ
>このように我が国は豊富な語彙がありますが、語彙が豊富であることは社会全体に対してどのような影響、並びに傾向が見られるのでしょうか。>今のところ私達、人間は”言葉を使って”自分の考えていること、思っていることを表現します。>自分の考えていること、思っていることを正確に言葉や文章で表現するのは非常に難しいことでもあります。

そうですね。
司馬遼太郎は、<十六の話>に納められた「なによりも国語」の中で、片言隻句でない文章の重要性を強調しています。
「国語力を養う基本は、いかなる場合でも、『文章にして語れ』ということである。水、といえば水をもってきてもらえるような言語環境 (つまり単語のやりとりだけで意思が通じ合う環境) では、国語力は育たない。、、、、、、ながいセンテンスをきっちり言えるようにならなければ、大人になって、ひとの話もきけず、なにをいっているのかもわからず、そのために生涯のつまずきをすることも多い。」

>ある種の感覚を感じてもどうにも言葉に表すことができないという経験は多くの人がしているはずです。>例えば、「とてもありがたいと思いながら申し訳ないと思う感覚」を言葉で表現するならどういった言葉があるでしょうか? >この場合であれば「忝い(かたじけない)」と表現できます。

気分・感情の表現ですね。

>また、人間は思考を言葉に出して表現すると思いがちですが、人間の思考は自身の使う言葉に支配されている場合もあるのです。> 何かの言葉を言って思い出したり、ピンときたり、今言った言葉に影響されて言葉が発せられた後に思考が形成されるといったことです。>そうだとしたら、思考は使う言葉次第で広がることもあれば、狭まることもあるということです。

そうですね。考え (文章) が結論を導くことがありますね。

>ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」というベストセラーがあります。>成功哲学、自己啓発で聞かないことはないというレベルのものですが、思考は現実化することは事実です。

非現実 (考え) の内容を現実化できれば、それは創造です。
現実の内容を現実界で再現すれば、それは模倣です。
特亜三国人 (日本人・中国人・韓国人) は、模倣が得意で創造が苦手です。

>語彙力は同じ言語を話す相手でもその語彙力レベルで会話が成立しないこともあります。>語彙力があるからといって精神的に自由かと言われれば全くそうではありません。

そうですね。意思のないところには、方法 (仕方) がありません。Where there’s a will, there’s a way.

>あくまで「思考の自由度が高まる」のです。

思考停止の状態では、どうにもなりませんね。

>その自由を使いこなせるかどうかは「精神」とか「魂」といった意識に関わることなので別の問題です。

意思の問題ではありませんか。日本人には意思がないから、精神・魂にすがる話になる。意地・根性・大和魂がついてくる。

>■思考を表現する言葉が無くなれば考える事がなくなる
>これまで説明したように、「言葉が(語彙が)思考を形成する」ということは、使う言葉が少なければ少ないほど、思考が狭まっていくことになります。

思考は、文法にも関係あることでしょうね。

>「ん~なんて言えば良いんだろう」とか「言いたいことを言葉にできない」といったことを、いくら勉強しても、いくら辞書を引いても言葉がないために、表現できなくなるのです。

‘意味で引く辞書’ (thesaurus) の助けが必要ですね。

>そんな歯痒いことが日常的に続くようになれば、最初の内は歯痒くイライラしても、そのうちそれが当たり前となり「どうでもよくなる」ことになります。>となれば、次に起こるのは「考えなくなる」ということです。

そうですね。思考停止ですね。危険な生活になりますね。

>考えてもそれを言葉にして表現できず、伝えられないなら別に伝えられなくていいやとなり、人と接することすら面倒と思うようになるでしょう。

そうですね。言葉を使わない方法もありますからね。以心伝心・不立文字ですよ。

>そうすると同じ言語を話す人でも、自分の知らない言葉を話す人とは接しなくなります。

日本人には意思はないが、恣意 (私意・我儘・身勝手) がある。意思疎通は成り立たないが、恣意疎通 (つうかあの仲・阿吽の呼吸) が成り立っています。この方法で日常を過ごしています。

>こうして階層が生まれていき、言葉を知らない人間は愚民となりその愚民コミュニティが形成されていくのです。>これは現在でも普通にその辺で起こっていることです。>外国人は外国人同士でコミュニティを作るし、犯罪者は犯罪者でコミュニティを作ります。

そうですね。民族国家の起源ですね。

>言葉を使えない、語彙力が全く無いということは社会の隅に追いやられてしまうということでもあり、それすらも理解できないような人間になってしまうのです。

バラバラな単語には意味がありませんね。歌詠みになります。’それで、どうした’ の問いには答えられません。

>このように「言葉と思考」はお互いに影響し合う関係なのです。>だからこそ思考を表現する言葉が無くなれば考える事がなくなるということになります。

そうですね。
現実は、頭の外にある。その内容は見ることができる。見ればわかる。
非現実 (考え) は、頭の中にある。その内容は、見ることができない。ただの話である。わかる為には、文章の理解が必要である。
文章には意味がある。文章でないものには、意味がない。ただバラバラな単語を並べれば、’それがどうした’ ということになる。
非現実の内容は、時制のある文書により表すことができる。非現実の世界は、独立した三世界 (過去・現在・未来) からなっている。英語には時制があるが、日本語には時制がない。だから、日本人には、世界観がない。
日本人の判断によれば、見ることできる内容は事実・真実である。見ることのできない内容は、嘘である。誰も、見て来たような嘘をつく人にはなりたくない。だから、非現実 (自分自身の考え) を述べることはない。受け売りばかりが増殖する。自己実現の達成は難しい。


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