nogaさんの日記

(Web全体に公開)

2019年
04月20日
17:20

江戸しぐさ


>「江戸しぐさ」は、今風に言えば江戸町民の「公衆マナー」であり、かつ「コミュニケーション・スキル」とでも言うべきものです。>狭い江戸の町で「江戸っ子」といわれていた町民が使っていた世間との付き合い方や他人とのかかわり方などの所作全般を言います。

江戸時代の社交技術ですかね。

>この江戸しぐさの根底には、日本特有の「相手を思いやる心」を形にしたものといえます。

気配りの一種ですね。忖度 (推察) というのかな。

>例えば江戸しぐさの一つに、「うかつあやまり」というのがあります。>うかつ(迂闊)とは、うっかりしているさま、注意がたりないさまをいいます。>例えば、往来などで足を踏まれたとき、踏んだほうが「ごめんなさい」と謝るのは当たり前の話ですが、この時、踏まれたほうも「いえいえ、私がうっかりしていたものですから」と、謝るのです。>この場合、足を踏んだ側の人間は「とんでもないことをしてしまった、申し訳ない」と恐縮しているはずです。>このような相手の過失を「どこに目を付けているんだ」と、せめるのでは無く、「私も注意が足りませんでした」と謝ることにより、踏んだ人間の心の負担は軽くなり、その場が和みます。>このようにどの江戸しぐさも、「相手を思いやる心」に裏付けされています。

正しい判断の結果は、どのように言い表されていたのでしょうかね。

>これは、「お金や物よりも人間を大切にする」、「皆が仲良く平和に暮らせるためにはどうしたらよいか」、「差別なく皆が共生するためにはどうしたらよいか」という江戸時代の日本人特有の思想に裏づけされています。

そうですね。和をもって貴しとなす、ということですかね。’あるべき姿’ (非現実・考え) の内容は、何処にも顔を出しませんね。

>ではつぎに、何故このような「江戸しぐさ」が生まれ発展していったのかを見てみましょう。>徳川家康が江戸に幕府を開いてから、それまでの寒村だった江戸は、全国から、文化や習慣の違う人々が集まってきて、徳川幕府中期には百万人を超す世界最大級の文化都市に発展していったのです。>しかも、江戸の町の特長は武家屋敷が大半を占め、町民や職人などの一般町民は限られた狭い地域(例えば、現在の神田や深川など)で生活をせざるを得ませんでした。>そのため人間関係はたいへん難しいことになります。>見かねた幕府はこの町の自治や治安などを「町衆」という大店の商人達に任せました。

町衆は、町民による自治組織ですかね。

>町衆が最初に考えたのは、このような全国から集まったさまざまな人たちが仲良く平和に日常生活が送れるためにはどうしたらよいかということでした。>そこで町衆たちは、それまでの自分達の経営哲学を具現化した、「商人しぐさ」(繁盛しぐさとも言う)、に着目しました。>商人しぐさは、それまでの商人道、処世術、倫理観、道徳律、約束事などを包含し、高めたものです。>この商人しぐさの背景には、仏教、神道、儒教などに影響を受けた日本人独自の哲学があります。(例えば「お天道様に申し訳ないことをしない」、「おかげさま」、「世間に対してはづかしいことはしない」、「因縁生起」などの考え方です。)

日本人の習得の仕方は、形式は受け入れるが、内容は受け入れないということでしょうね。形式は、現実ものであるから見ることができる。内容 (意義) は、非現実 (考え) であるから見ることができない。見ることのできる内容は、’本当’ のことである。見ることのできない内容は、’嘘’ である。誰も、’見て来たような嘘’ を語る者はいない。自らの考えを耐える者はいない。日本人は、真実のみを語る民である。

>この商人しぐさを原型として一般の町民にも広げたものが[江戸しぐさ]といわれています。>この「商人しぐさ」を江戸の町民全般に広げる役割を担ったのは「寺子屋」や「講」による初等教育でした。

わが国は、初等教育王国でしたね。

>寺子屋や講の教育の基本的考え方をあらわすこんな言葉があります。>「三つ心、六つ躾、九つ言葉、十二文、十五理で末決まる」というものです。>意味は、「三歳で素直な心を作り、六歳で節度ある振る舞いを覚えさせ、九歳で人様に聞かれても恥ずかしくないような正しい言葉を覚えさせ、十二歳できちんとした文章が書け、十五歳で道理(理屈)を理解することが人間教育の基本であり、これらのことを如何に理解し、実践出来るかによって、その子の将来は決定する」、というような意味です。

分かりやすい庶民教育の解説ですね。

>読み、書き、算盤などの知育教育はもちろん、それ以上に人間教育に重点をおいていたわけです。>今では死語になってしまった、躾教育とか修身教育とか道徳教育に重点をおいた教育をしていたわけです。

序列作法の研修ですね。

>江戸しぐさは口伝(くでん)で行われていたためその文献はありません。

日本人の精神活動は、文字・言説をもって伝えることができない。

>しかも江戸しぐさという名称も、近年になって芝三光(しばみつあきら、本名は小林和雄)という人が命名したものといわれています。>現在はその弟子とも言える越川禮子氏が江戸しぐさを全国に広める活動をしています。>この江戸しぐさは、公衆マナーですから法律のように「何々をしてはならない」というようなものでは有りませんし、罰則があるわけでもありません。

マナーは、風習のようなものですね。今さら東京の街が江戸の街に返ることはないでしょう。

>江戸しぐさは、一見自分に不利益な行為に見えるかも知れませんが、大局的、あるいは長期的に見れば、相手も自分も、そして世間全体も、人間関係がよくなるとか、共生するとか、平和になるなどメリットは多いのです。

そうですね。‘堪忍は、無事長久の基’ というようなことでしようね。

>ところで、江戸時代にこの江戸しぐさが出来ないと、「野暮」とか「田舎物」とバカにされるばかりか、すりや悪い人に狙われたりしたようです。>逆に、この江戸しぐさができてかっこいい江戸っ子を「粋(いき)な人」といいみんなの憧れの的でした。

気分・雰囲気の問題ですね。国際社会においては、どうにもならないですね。日本の常識は、世界の非常識ということでしょうかね。
日本人には、世界観がない。だから、’あるべき姿’ の世界の内容を自ら示すことができません。その結果、独り善がりのようなものになります。孤高の人か。それは、大変残念なことであります。
日下公人氏は、<よく考えてみると、日本の未来はこうなります。> の中で、日本人に関するW.チャーチルの感想を以下のごとく紹介しています。

日本人は無理な要求をしても怒らず、反論もしない。笑みを浮かべて要求を呑んでくれる。しかし、これでは困る。反論する相手をねじ伏せてこそ政治家としての点数があがるのに、それができない。
 それでもう一度無理難題を要求すると、またこれも呑んでくれる。すると議会は、今まで以上の要求をしろと言う。無理を承知で要求してみると、今度は笑みを浮かべていた日本人が全く別人の顔になって、「これほどこちらが譲歩しているのに、そんなことを言うとは、あなたは話のわからない人だ。ここに至っては、刺し違えるしかない」と言って突っかかってくる。
 英国はその後マレー半島沖で戦艦プリンスオブウェールズとレパルスを日本軍に撃沈され、シンガポールを失った。日本にこれほどの力があったなら、もっと早く発言して欲しかった。日本人は外交を知らない。(引用終り)

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